あの人の過去には・・
山本リンダは、アメリカ兵と日本人の母との間に生れたが、
父はリンダが1歳の時に戦死。
母は、身を粉にして働いたが、生活は貧困を極めた。
しかも「お前なんか日本人じゃない!」というイジメを受けた。
大人からも白い目を向けられた。
母が「今は醜いアヒルの子、でも最後は白鳥になるの」
そう言って母が抱きしめてくれた。
やがて思い切ってモデルの仕事を始めた。
日本人離れした容姿で、瞬く間に人気モデルになった。
41年に、山本リンダとして歌手デビューした。
「こまっちゃうな」がヒットした。
ところがだんだん売れなくなって「舌たらずの歌は歌じゃない」と言われた。
母は「もっと自信を持ちなさい」と変わらず、ささえてくれた。
そのうちに、阿久悠などが集まって、
リンダプロジェクトができた。
これにより「どうにもとまらない」が100万枚の大ヒットになった。
「ねらいうち」「狂わせたいの」など次々とヒットした。
しかし、大切な生き方を教えてもらった母が、
51年、50歳の若さでこの世を去った。
翌年、リンダプロジェクトが解散して人気が低迷。
衣装を変える場所がなく、トイレで着替えることも・・
でもくじけない。亡き母の言葉がいつも支えてくれた。
「元気で生きていかなきゃいけない・・」
再び、転機が訪れる。
ちびまる子ちゃんで、まる子が「ウララ、ウララ♪」と歌った
「ねらいうち」が再び大ヒットした。
今日も元気に、47年にヒットした「どうにもとまらない」を歌う。
父はリンダが1歳の時に戦死。
母は、身を粉にして働いたが、生活は貧困を極めた。
しかも「お前なんか日本人じゃない!」というイジメを受けた。
大人からも白い目を向けられた。
母が「今は醜いアヒルの子、でも最後は白鳥になるの」
そう言って母が抱きしめてくれた。
やがて思い切ってモデルの仕事を始めた。
日本人離れした容姿で、瞬く間に人気モデルになった。
41年に、山本リンダとして歌手デビューした。
「こまっちゃうな」がヒットした。
ところがだんだん売れなくなって「舌たらずの歌は歌じゃない」と言われた。
母は「もっと自信を持ちなさい」と変わらず、ささえてくれた。
そのうちに、阿久悠などが集まって、
リンダプロジェクトができた。
これにより「どうにもとまらない」が100万枚の大ヒットになった。
「ねらいうち」「狂わせたいの」など次々とヒットした。
しかし、大切な生き方を教えてもらった母が、
51年、50歳の若さでこの世を去った。
翌年、リンダプロジェクトが解散して人気が低迷。
衣装を変える場所がなく、トイレで着替えることも・・
でもくじけない。亡き母の言葉がいつも支えてくれた。
「元気で生きていかなきゃいけない・・」
再び、転機が訪れる。
ちびまる子ちゃんで、まる子が「ウララ、ウララ♪」と歌った
「ねらいうち」が再び大ヒットした。
今日も元気に、47年にヒットした「どうにもとまらない」を歌う。
あの人の過去には・・
昭和44年にビリーバンバンは「白いブランコ」でデビューした。
この曲は、弟の進が高校生の時作った歌で、
自然にメロディーと歌詞が浮かんできたと言う。
瞬く間にプロデビューした。
ところが、イントロにトランペットが入っている。
これが、作った本人の進には気に入らず、
文句を言って、ケンカになった。
兄はトランペットのイントロは良いと思ったが、
弟 進は自分が作った歌を勝手に変えられるのがイヤだった。
結局、歌は大ヒットしたが、
自分で作った歌にこだわる弟と、
良い歌を歌いたいという兄と、2人の間にミゾができていった。
曲をレコーディングする時にも、兄は弟にイラついていた。
逆に弟には、兄は向こう側に迎合しているようにみえた。
やがて売れなくなって、2人はさらに険悪になっていく。
「さよならをするために」を歌えと言われたが、
弟は、他人の歌を歌うことに耐えられない。
レコーディング当日、進は来なかった。
その後、説得されて何とか歌った。
ヒットして紅白にも出た。
51年に解散して、兄は司会者に、弟はミュージシャンになった。
進は離婚したし、精神的にボロボロ。
喘息を発症して倒れてしまった。
その時に、初めて兄がありがたく思えた。
兄弟のわだかまりも取れて、再びデュエットになった。
この曲は、弟の進が高校生の時作った歌で、
自然にメロディーと歌詞が浮かんできたと言う。
瞬く間にプロデビューした。
ところが、イントロにトランペットが入っている。
これが、作った本人の進には気に入らず、
文句を言って、ケンカになった。
兄はトランペットのイントロは良いと思ったが、
弟 進は自分が作った歌を勝手に変えられるのがイヤだった。
結局、歌は大ヒットしたが、
自分で作った歌にこだわる弟と、
良い歌を歌いたいという兄と、2人の間にミゾができていった。
曲をレコーディングする時にも、兄は弟にイラついていた。
逆に弟には、兄は向こう側に迎合しているようにみえた。
やがて売れなくなって、2人はさらに険悪になっていく。
「さよならをするために」を歌えと言われたが、
弟は、他人の歌を歌うことに耐えられない。
レコーディング当日、進は来なかった。
その後、説得されて何とか歌った。
ヒットして紅白にも出た。
51年に解散して、兄は司会者に、弟はミュージシャンになった。
進は離婚したし、精神的にボロボロ。
喘息を発症して倒れてしまった。
その時に、初めて兄がありがたく思えた。
兄弟のわだかまりも取れて、再びデュエットになった。
あの人の過去には・・
人前で歌うのがイヤだった伊東ゆかり。
父は、人見知りを治そうと米軍キャンプのショーに出した。
笑顔もなく「ノースマイル」と言われた。
父は徹底したスパルタ教育で、部屋中に英語の歌詞を書いた。
歌を少しでも間違うと、手が飛んできた。
11歳の時、強制的に芸能界へ。
中尾エミ、園まりと3人娘として人気が出たが、
収録にはいつも遅刻したし、なるべく端っこに行って
テレビに映らないようにした。
彼女なりの、反抗だった。
20歳で仕事をやめると決めていたが、
ところが、19歳で「小指の思い出」が大ヒットし、
やめられなくなってしまった。
24歳でゴールインしたが、父の借金が出てきた。
夫に肩代わりはさせられないので、また歌うことになった。
1年で借金を返済し、これでやめられると思ったが、
離婚したので、娘を育てるために仕事をしなければならない。
人生を変える大きな出来事が起こった。
船上でのディナーショーをした。
中尾に「船に入ったら、毎日同じ人と会うのよ」と言われた。
できるだけ、部屋から出ないようにしていたが、
お風呂に入ると人に会ってしまう。
同じ人によく会って「スッピンでもきれい」と言われた。
ショーの時にその人に気がついて「裸の付き合いですね」というと受けた。
自分も楽しくしていれば、相手も楽しくなるんだとわかった。
40年かかって、歌が好きになった。
今では、14年前に他界した父に感謝している。
父は、人見知りを治そうと米軍キャンプのショーに出した。
笑顔もなく「ノースマイル」と言われた。
父は徹底したスパルタ教育で、部屋中に英語の歌詞を書いた。
歌を少しでも間違うと、手が飛んできた。
11歳の時、強制的に芸能界へ。
中尾エミ、園まりと3人娘として人気が出たが、
収録にはいつも遅刻したし、なるべく端っこに行って
テレビに映らないようにした。
彼女なりの、反抗だった。
20歳で仕事をやめると決めていたが、
ところが、19歳で「小指の思い出」が大ヒットし、
やめられなくなってしまった。
24歳でゴールインしたが、父の借金が出てきた。
夫に肩代わりはさせられないので、また歌うことになった。
1年で借金を返済し、これでやめられると思ったが、
離婚したので、娘を育てるために仕事をしなければならない。
人生を変える大きな出来事が起こった。
船上でのディナーショーをした。
中尾に「船に入ったら、毎日同じ人と会うのよ」と言われた。
できるだけ、部屋から出ないようにしていたが、
お風呂に入ると人に会ってしまう。
同じ人によく会って「スッピンでもきれい」と言われた。
ショーの時にその人に気がついて「裸の付き合いですね」というと受けた。
自分も楽しくしていれば、相手も楽しくなるんだとわかった。
40年かかって、歌が好きになった。
今では、14年前に他界した父に感謝している。

